『身捨つる程の祖国はありや』
高名な弁護士事務所の代表が書いた本だが、その題にはドキッとさせられる力がある。いまの日本にぴったりの言葉だろう。「君、君たらずとも、臣、臣たらざるべからず」(以下、前者という)を選ぶのか、それとも「君、君たらずとも、臣、臣たらず」(以下、後者という)を選ぶのか、いま、日本の全国民が問われている。例えて言うと、前者は当機構と同じ姿勢だ。たしかに、いまの日本の国家や政治には、おかしなところがたくさんある。足りない点も、数えきれないくらいある。だが、それにただ文句を言っていても、仕方がない。だから、「自助」の精神で、自分たちで出来ることは自分たちでやって、問題を解決していこうという姿勢だ。
他方、後者を選ぶ人も、年々増えてきている。たとえば、日本の恵まれた安全で清潔な環境で育ち、大学や大学院まで十分な教育を受けて起業し、IPOや会社売却などで利益を得たら、シンガポールや香港などに移住してしまう人たちだ。あるいは、もう自分は定年したからと、海外に移住して暮らそうというシニア世代もここに含まれる(若い人からもらう年金とそこから生まれる消費を、日本ではなく海外に持っていってしまう人たちだ)。これらはアメリカ的な個人主義に順じる生き方と言えよう。「自分の成功はすべて自分のおかげ」であり、得られるものを得たら、不安な祖国などとっとと捨てて自分だけ日本から逃げ出し、あとは高みの見物で贅沢三昧と言うわけだ。そこには、自分につながる祖先に対する敬意も、育ててくれた国に対する愛国心も、将来世代に対する思いやりの精神も、なにもない。自分がその恩恵のおかげで暮らせているという謙虚さも、感謝の念もない。さわかみ投信CIOの草刈氏の表現を借りれば、「今だけ、カネだけ、自分だけ」という生き方だろう。
ここでは、どちらが正しいのか、という善悪を問うつもりはない(それは個人の価値観で、個々人が判断すればよいことだ)。ただ、国家単位の集合問題として見ると、この2つの選択からは、大きな「合成の誤謬」が生じる。これが、大事な点である。日本では、歴史的に前者が大多数だった。だから、日本という国は建国から2681年もの長い間、独特の価値観を紡いで独自の日本文化を築き、長い歴史を独立国として生き残ることが出来てきた。自分につながる家系・先祖に感謝する。自分の世代で全資源を使いきることなく、常に有事や子孫のために備えを残す。自然の資源を食い散らかして次々と移住するのではなく、自然と共存ながら、周囲と協力して生きていく。どれも、現代の世界から見たら、日本に特有のガラパゴス的価値観だ。この日本古来の価値観を残すことが出来れば、日本は次の1000年も独立国として生き残れるだろう。いや、むしろダライ・ラマが、「21世紀は日本の世紀」と言っている通り、あるいは英BBCの調査で、「世界によい影響を与える国」のトップが日本とされている通り、日本は暴走する資本主義を補完し、進化させる、「世界最後の希望の砦」になれるかもしれない。
他方、暴走する資本主義の中で、「今だけ、カネだけ、自分だけ」を、全員が追い求めていったらどうなるか? ビルゲイツの言う通り、資本主義は、「格差を生じさせ、かつ拡大させる」という構造的欠陥を抱えている。それは、「格差問題」や「環境問題」、そして「事業承継問題」の根っこにある問題である。子孫や他人のことを考えない限り、問題は起こり続け、悪化し続ける。だが、「他人のことを考える」価値観は、「自己の利益のために動く」資本主義と相反しており、自制は利かない。その中で、全員が「自己の利益のために動く」ことを野放図に許せば、その格差はますます拡大する。見捨てることは、見捨てられることだ。困った人を見捨てることを許せば、自分が困った時には見捨てられるということだ。格差の拡大は、歴史的に、「一揆」「革命」「戦争」の原動力になってきた。すなわち、いまはそのエネルギーが着々と溜まっているということだ。「アラブの春」や「NYの1%:99%の行進」などは、そのほんの萌芽に過ぎない。なにせ、資本主義の理想の最終形は、「1人の資本家と、その他の奴隷」なのだ(それは数学的に証明されている)。このまま放っておけば、ジャック・アタリの言う通り、我々の子供は生きている間に「世界が壊れる」日を目の当たりにすることになるだろう。だが、それは、ヒトにとって本当に理想の最終形だろうか?主義は主義だ。しょせん、道具に過ぎない。たとえどんなに大きな道具だとしても、万能ということはありえない。いま大事なのは、ヒトとして、良心で自制をかけられるかどうか、ではないだろうか?
そもそも歴史を振り返れば、過去のどの時代、どの国に生きていたとしても、今の日本よりよい時代、国などほぼ見当たらない。現代日本で生まれたということは、過去のどんな時代の日本で生まれるよりも、遥かに幸運なことなのだ。実感がない?そんなあなたのために、2つ質問をしてみよう。
たとえば、あなたが仮に1億円をもらえるとして、ろくな医療技術もガスも水道も電気もエアコンも水洗トイレもない、室町時代の貴族に生まれたいだろうか?(もしそれを選んだら、あなたの平均寿命は半分以下になるとしても?)
あるいは、日本ではなく、アフリカの貧村で生まれたら「1億円あげる」と言われたら、あなたは後者を選ぶだろうか?(後者を選ぶと、あなたの平均寿命はやはり半分以下になるとしても?)
いずれの質問でも、前者を選んだ読者の方のほとんどは、いまのあなたの年齢まで生きていないだろう。
この2つの質問に答えてみれば、現代の日本に生まれ、そして今も生きているということは、1億円の宝くじに当たるよりも幸運だということがよくわかる。
さて、ここでもう一つ、考えてほしい。あなたが日本に生まれたのは、「あなたの努力」によるものだろうか?(アフリカの貧村の子がアフリカに生まれたのは、「努力しなかったから」なのだろうか?)
そうではない。ただ、日本で生まれた子は、ラッキーだったというだけだ(D・カーネギーも、こう言っている。「我々がヘビでない唯一の理由は、我々の両親がヘビでなかったからだ」)。要するに、現代日本で生まれ育ったということは、1億円の宝くじに100万回連続で当選する位の確率でバフェットの言う「子宮の宝くじ」に当たったということだ。そして、その「子宮の宝くじ」に当選したのは、本人の努力によるものではないという事実を、謙虚に受け止めるべきではないだろうか?
では、どうすべきか?
「幸運に恵まれたものには、その分社会のために尽くす義務がある(noblesse oblige)」 特にシニアの方々に、この意味をよく考えて頂きたい。自分が祖先から残してもらったのと同様に、子や孫の世代のために、一部を残してはどうだろうか?目安としては、資産の1割程度で構わない。あとは、皆さんの人生を楽しむために使えばいい。10割を9割にしても、個人の生活はそうは変わらない。だが、その1割があるかないかで、子や孫の社会は大きく変わる。いや、その1割が、世界を変える1割になるかもしれない。
長くなったが、最後にいい話を1つ。冒頭の書籍の中に「熱殺蜂球」という話が出てくる。二ホンミツバチに特有の戦闘行動で、天敵で自分よりも倍以上大きいオオスズメバチと戦う方法だ。二ホンミツバチは、一対一ではオオスズメバチにかなわない。だが、数百数千の群れが文字通り蜂の玉になって、スズメバチの巣を取り囲む。そして、自らが羽ばたく熱で巣を囲んで熱して、スズメバチが死滅する45℃以上まで巣の温度を上げて、オオズズメバチをまとめて蒸し殺してしまうのだ(ニホンミツバチは49℃まで生きられる。同じミツバチでも、セイヨウミツバチはこの行動をしない)。これは、暴走する資本主義と戦うヒントになるだろう。
個々の投資は少額でも、多くの方が集まって協力すれば、1対1では決して敵わない強大な相手にも勝てるのだ。社会問題の解決のために、支援者の皆さんにご参加頂く具体的な方法として、「社会貢献しながら、運用する(寄付ではない)」という方法を当機構は提供している。
10/13には支援者の会を予定しており、募集中の1号ファンドの説明も予定しているので、ご関心がおありの方はぜひHPから登録してご参加頂きたい。(参加登録はこちら:https://forms.office.com/pages/responsepage.aspx?id=O6o3ba5SaUKjVqU6R6i3sSr-dOLNpe5FqIWvyrlGc-lUOUdZSTJINkQ3OUNFNkdZMlpMUEkwUE8xUyQlQCN0PWcu)
いまはまだ数十名の当機構の支援者が、いずれ数千、数万、数十万になったとき、それはまさに資本主義の歪みを正す熱殺蜂球になる。そして、日本の未来を変えられる力になるだろう。支援者の皆様と共に、子や孫に未来を残すために大きく活動できることを、社員一同、心から楽しみにしている。

