最近、ご縁の大切さを痛感することが増えている。そもそも事業承継とは、複数のご縁が結びつかないと、成立しないものだからだ。ただ、そのご縁は、人智の及ばないところで決まる部分が大きいものだ。それこそ、ご縁の有無の9割は、天運によって決まるものではないか?とも思う。だからこそ我々は、我々にできる最大限を、日々人智の限りを尽くして行うことにしている。必死に1割の努力をして、9割を決める天運を引き寄せるのが、我々の仕事だからだ。そこで今回は、特に当機構の事業で大切な3つのご縁についてお話ししたいと思う。
まず第1に重要なのが、創業者(株主)とのご縁だ。創業者とのご縁がなければ、事業承継のスタート地点に立つことすらできないからだ。この創業者とのご縁は、短期間に非常に濃い密度で発生することと、間接的にもたらされる点に特徴がある。
まず密度についてだが、当機構の場合、8割以上のケースにおいて、創業者の方とクロージングまでにお目にかかるのは5回以下だ。中には、健康上の理由等で、たった1度しかお目にかかることができないというケースもある。創業者の方が、文字通り人生をかけて築いてきた(自らの実子よりも大事と言われることもある)会社の未来を他人に託すことを、たった1度の面談で決めるというのは、いかなる心境だろうか?一般の方には、たとえば大事な1人娘の嫁入り先を、たった1度の面談で決めることに近いと言えばわかりやすいだろうか?その決断には、大きな覚悟と困難が伴うだろう。
だからこそ我々は、ご縁を頂いた創業者と初めてお会いする面談を、「真の真剣勝負の場」だと位置づけている。それこそ、真剣を抜刀した状態で相対するような緊張感を持ち、その真剣勝負に対応できるだけの圧倒的な準備を行ったうえで、面談に臨むようにしている。なぜなら、その面談が、文字通り一生一度きりのご縁になるケースもあることを、我々は知っているからだ。
その面談は、一般の方々の想像を、はるかに超える世界になることもある。時に「事実は小説より奇なり」を地で行くような面談もある。たった1時間ほどの面談ではあるが、それが、創業者の方の人生において、最大にして最後の決断をする場であるためだ。だからこそ、時には魂が震えるような面談になることもある。我々の目標は、その真剣勝負の面談が終わる時に、創業者の方にご満足いただいて、笑顔を見せて頂くことだ。それが出来たときが、我々が笑顔になれるときでもある。当機構を設立し、活動してきてよかったと、心から感じる瞬間だ。それは、大きなやりがいであり、喜びでもある。同時に、雇用と経済を残すという重責のバトンを受け取り、より一層気が引き締まる瞬間でもある。ドラマのような瞬間が、この創業者とのご縁には伴うものだ。
この創業者と当機構のご縁は、間接的に生じるという特徴もある。どういうことかというと、多くは「仲人」の方によってご縁が生じるということである(直接生じることもあるが、ごく稀である)。対象企業のメインバンクや、税理士・会計士、弁護士、M&Aの仲介事業者等の方々にいわば「仲人」になっていただき、創業者の方をご紹介いただくことで、当機構とのご縁が生じるわけだ。
では、この「仲人」の方々に選ばれる条件は何か?それは、仲人の方によって異なる傾向がある。当機構の場合には、地方銀行によるご紹介が大半を占めているが、それは地方銀行自身が、地元の中小企業を「転売しない」「統合しない」「移転しない」で、地元に永久に残してほしい、というニーズを有しており、そのニーズに当機構が提供する永久保有型の事業承継プラットフォームが合致しているということが大きい。
逆に、その裏返しでもあるのだが、当機構ではM&A仲介業者に仲人をお願いするケースは、1割以下だ。これは、いわゆる事業承継ファンドと大きく異なる点でもある(ファンド業界では、多くがM&A仲介業者からの紹介ということが普通だからだ)。では、なぜ当機構では仲介業者が少ないのか?それは、仲介業者が「何度も売買してほしい(そして仲介手数料を何度も払ってほしい)」というニーズを有しているためだ。ファンドは、買ったら3-5年後には売るので、仲介業者は少なくとも2回は仲介料を得るチャンスがある。中には、マッチポンプのように、ファンドA→ファンドB→ファンドC→ファンドA、と次々と売買される会社もある。そういう企業は、M&A仲介業者にとってはおいしく、「1社で3回儲かる(しかも両手で)」ということも少なくない。ファンドも売買して利ザヤを得るのが目的だから、ファンドにも売買する動機がある。だから、M&A仲介業者とファンドは、利害が一致しているケースが多いのだ。他方、当機構の場合は「永久保有」なので、当機構が承継したら、その企業の仲介機会は1回限りで消滅してしまう(これは、何度も仲介料を得たい仲介業者にとっては、うれしいことではないだろう)。このニーズの差が、当機構におけるM&A仲介業者経由でのご縁の少なさになっている。が、それは「事業を承継し、雇用や経済を残す」ことを追求する当機構と、「仲介料を得る(そのために何度も売買してもらいたい)」というM&A仲介業者、あるいは「売買して利ザヤを得るファンド」との根本的な事業目的の違いなので、仕方ないと整理している。
第2に、支援者の方とのご縁だ。事業承継問題を全面的に解決していくには、巨額のお金が必要だ。だが、自らのお金を短期間で効率よく増やすことだけを考えるいわゆる強欲資本主義マネーは、目的や性質が合わないので使えない。だから我々は「事業承継未来ファンド」を自ら設立し、志のある個人の資金を募って、運用している。利殖目的だけの機械的な運用ではなく、「社会貢献しながら、資産運用する」。子や孫に有益な社会インパクトをリアルかつ大規模に追及しながら、結果として「よい資産運用にもなってしまう」ように運用するのが、我々が理想として求めている姿だ。そういう意味では、支援者の方は、「雇用・経済・安全を子や孫の未来に残す」という当機構の理念を共有し、共に達成を目指していくための仲間である。この支援者の方とのご縁は、まず間接的に生じ、次に直接的に生じることが多い点に特徴がある。
支援者の方とのご縁の多くは、まずはマスコミによる報道や、当機構の書籍を書店で手に取って頂くことなどを通じて、間接的に生じる。ネットを多用する世代なら、ググって直接HPや動画から見つけて頂いた方もいるだろう。だが、支援者の方とのご縁を強く感じるのは、やはり「支援者の会」で直接、対面でお会いする時だ。支援者の中には、何度も何度も会に出席してくださる方もいるし、ファンドを募集するたびに毎回のように投資して頂いている方もいる。直接お会いしてその理由を聞くと、「自分の生活は、もう十分。それよりも、子や孫のために使ってほしい」、「よりよい世の中を、子や孫のために残してあげたい」という声が、非常に多い。そう、当機構の支援者の方は、こういうキレイごとをまっすぐにさらっと言える素敵な方が、実に多いのだ。自分も70代80代になったときに、こういうシニアになりたいと思う。自分の親よりも上の世代の方から期待を受け、キレイごとをまっすぐにさらっとお話しいただくとき、私はいつも襟を正して事に当たろうという気持ちになる。当機構の社員も、きっと同じ気持ちであろう。10月21日には、初の地方開催となる神戸で支援者の会を予定しているので、ご関心がおありの方はぜひHPから登録の上でお立ち寄り頂ければと思う。私も、新たな支援者の方との新たなご縁を、心から楽しみにしている。
第3が、当機構の社員や承継社長を含む、協力者とのご縁だ。当機構には、数多くの仕事がある。創業者の相談に乗り、金融機関や大企業と連携してその解決策を事前に準備し、人や資金を集めて事業承継を成し遂げ、さらにその後の経営を全面的に支援し、時には自ら経営を担う。当機構の人員は40名を超えた今も、全然足りていないため、月に数人のペースで増やし続けている。膨大な仕事量があり、人がいくらいても足りないくらいだからだ。この協力者の方とのご縁の大半は、紹介である。紹介で参加される方が多いのは、個人的には良いことだと思っている。自分が中で働いてみて、よくない会社を他人に推奨する人は少ないからだ。
当機構のメンバーには、「リアルなインパクトを出すプロであること」を求めている。職責によって各自の役割は異なるが、評価軸は皆同じだ。リアルなインパクトをきちんと出すために、『事業承継プラットフォーム』、『京セラフィロソフィ』、『人を助けるとはどういうことか?』と言った書籍を必読の課題図書としており、月1回を目途に勉強会やディスカッションを行っている。また、新旧含めたメンバー間の交流を促進し、自由闊達に意見交換ができるように、月1回を目途に社内で飲み会も行っている(飲み会の日は、いつもオフィスが人でいっぱいになる)。
5年ほど前にわずか3人で設立した会社が、いまや40名を超えた(そしてグループ全体では600名を超えた)ことには、大きな喜びを感じている。さらに、そのメンバーの質が、能力的にも人間的にも非常に高い方が多いことを、とてもうれしく思っている。当機構の協力者の約1/3は、各社の社長をはじめとして役員以上の経験があるメンバーであり、残るメンバーもそれぞれ専門性と実績を持った猛者ばかりだ。私自身、協力者の皆さんに学ぶところも数多い。また、実際にメンバーが承継先企業のためにリアルに役立つというケースも増えてきているため、今後も承継先の強化・支援の機能は継続的に拡充していく方針である。
上記の通り、当機構の事業推進には、上記3つのご縁が不可欠だ。ご縁を決めるのは、天運が9割であることを理解しつつ、その天運を引き寄せるための1割の圧倒的な努力を、社員共々今週も徹底的に行っていこうと思う。