今日の題は、いつもより少し重い。
だが、いい機会だから、「喰って生きる」ことと事業承継について、述べておきたい。
4/10付けの新聞に、こんな記事が掲載されていた。
あるアフガニスタンの母親が、「一家4人、もう1週間もろくに食事を出来ていない。母親は、喰って生きるために、Facebookで末娘を14万円で売りに出す決断をした」と。
同じ記事には、こんなことも書いてあった。
「喰って生きるために、仕方なく売春している。宗教には反するし、家族に知られたら殺されるだろう。それでも、月3000円程度しか稼げない」と。
さて、皆さんは、記事を読んでどう思っただろうか? 現実感がない? 遠い国のことで、自分には関係ない? だが、これは紛れもない真実であり、現実だ。そして、アフガニスタンに限ったことではない。戦地のウクライナでも、その他の貧困地域でも、同じような「喰えなくて、生きられない」人は大勢いる。(世界人口の約1割、8億人は飢えている)そして、いまこの瞬間、今日1日にも、「喰うために」という悲劇が、世界各地で発生している。常に弱者が犠牲になるのは、資本主義の前提だ。そして、ここで大事なのは、日本も決して例外ではないということだ。いま85歳以上の方は、戦争中の実経験として知っているだろう。戦中戦後には、日本にも「飢え」があった。そして、文字通り「骨と皮になって、親子とも餓死した」ということが、現実として多数あったのだ。
同じ新聞に書いてあったことでもあるが、せっかく学校で学んで出ても、「働く場所がない」から、お金を稼げず、ものを喰えず、餓死していったのだ。だが、ものを喰えない人々と、ありあまる食料を得ている我々と、いったい何が違うのだろうか? ものを喰えない人の個々人が、悪いわけじゃない。彼らが、努力していないわけでもない。根本的には、運の差だ。生まれた場所が、時代が、たまたま悪かっただけだ(バフェットは、「卵巣の宝くじ」と言っている)。逆に言うと、現代の日本に生まれ、生きている我々は、現代の日本に日本人として生まれてきただけで、「1億円の宝くじに、100回以上連続で当たったくらいの幸運」を得て生まれており、そのおかげで喰うに困らないと言ってもよいだろう。世界で最も安全・安心な国の1つに、かつ文化・文明がこれほど栄えて便利になった時代に生まれ、年金制度や国民皆保険制度といった社会制度もまだ機能している。その中で、人類史上最も長い、平均80年以上もの寿命を全うできるということは、過去のどの時代、どの国に生まれた貴族や王族よりも、ずっと幸せなことだろう。それは、運のおかげでもあるが、もう1つ大事なことがある。それは、我々の祖先が、子や孫のために努力して、アジアの奇跡と呼ばれるほどの経済発展を成し遂げてくれたおかげであるということだ。だとすると、いま我々現役世代が問われているのは、その「世界で最も恵まれた環境に生まれた。ただ、先行きは暗い」中で、各自がどう行動するか、ではなかろうか?ただ過去の遺産を食い潰して、自分だけが良ければよいと喰い逃げしたり、あるいは自分だけの勝利を得て、祖国を捨てて他国に自分だけ高跳びするのか? それとも、事実を理解したうえで、今度は我々が子や孫のために努力する番と覚悟を決めて、日本の子や孫のために生きるのか?
祖先が我々にしてくれたように、我々も子孫のために行動しようというのは、当機構の価値観の1つだ。
急速な人口増加と経済効率の成長が掛け算でもたらした日本の奇跡の時代は、もうすでに終わり、日本は下り坂に入っている。世界2位の経済大国だった時代は終わり、一人当たりGDPはいまや27位と、世界の上位1割からも落ちてしまい、韓国や台湾を下回るようになってしまった。このまま放置して置いたら、いずれ50位になり、100位になるだろう。それは同時に、社会保険制度や年金制度の崩壊を招くことになり、経済のみならず、安心・安全すら失われることになる。日本の「人口急増」と「効率性向上」に支えられて掛け算で膨らんだ社会システムは、「人口急減」と「効率性停滞」の両方が分数になってしまうことによって加速度的に縮小して維持できなくなっており、このままだと、いずれどこかで破綻することになる。
では、破綻した時に、何が起こるか? 勘のいい読者はすでにお気づきだろう。「飢えて、餓死する」というリスクが現実のものになるのだ。そのリスクは、日本からなくなってなどいない。遠い別の国や、遠い過去の時代のことでもない。「喰えなくなり、生きられなくなる」 それはまた日本を襲いうる、現実的なリスクなのだ。きっかけが何になるのかは、わからない。金利が100%を超えるハイパーインフレの結果として発生するのかもしれないし、1$=1000円という超円安の結果として発生するのかもしれない。あるいは、天災かもしれないし、疫病、戦争、経済的・人的要因など、様々なきっかけがあり、それは誰にもわからない。だが、「飢えるリスク」は、我々にとって、決して他人事でも、なくなったことでもないのだ。
当機構が「子や孫に残したい企業」の事業承継を行っている残す目的の1つは、「働く場を残すことで、人々が喰って、生きていける場を残す」ことでもある。
少し脅かすような表現になってしまったかもしれないが、なにがあろうと、人々の日々の生活を支える経済活動は、決してなくなったりしない。世界には80億人の人間が生活しており、それがすべてなくなることなど、ありえない。だから我々は、生活に密着した、どんな環境下においても必要不可欠とされる事業から、優先的に事業承継を行い、残していく取組を行っている。
かの有名な稲森和夫氏も、こう述べている。「ヒト1人食わしていくだけでも、大変なことだ(子を持つ親なら、よくわかるだろう)。それを10人100人と食わせているえらい人が、中小企業の社長だ」と。そして、日本人の半分以上は、中小企業で働いているのだ。その中小企業の1/3が事業承継問題を抱えており、消滅するリスクがあるのだ。それは、上場市場がどこかとか、四半期利益がどうとか、年間成長率がどうとかいうよりも、もっとずっと根本的に、国民1人1人の、今日の生活にかかわることなのだ。この時代の日本に生まれたことに感謝しつつ、未来の子や孫たちが、同じように幸せに生きられるように、今日も事業承継活動に邁進していこうと思う。すべては子や孫に、よりよい社会を残すために。

