コロナウイルスは、人類含む他の生物と同様に、
必死に種として生存し、子孫を残し、
繁栄しようとしているだけだ。
だが、その行動は、人より賢いのかもしれない。
もしエボラウイルスのように、症状がすぐに表れ、
劇的な致死性を有していたら、人類はより劇的に対応した。
だから、エボラウイルスは、より早く抑えられ、
狭い地域での流行にとどまった。
だがコロナは、
感染や症状に気づきにくいステルス性を有し、
致死率も5%程度にとどめ、
マイルドに広がっていく道を選んだ。
そして、拡散することに成功した。
既に拡散した以上、
人類が今後薬を開発するなどの対策を講じて、
一時的に流行が終息したとしても、
もはや根絶することは出来ないだろう。
人は、大木を切り倒すことが出来るが、
雑草を根絶することが出来ないのと同じだ。
コロナは長く生き残ることを前提に、
人類は、もはや共生していくしかないのだろう。
そんなコロナを前に、
各国トップが今迫られているのは、
「A:命を守るために、閉鎖生活を続けるか?」
「B:ポピュリズムに従い、経済再開を取るか?」
という2択だ。
日本でも、米国でも、近いうちに決断がなされるだろうが、
皆さんならどちらを選択するだろう?
当代きっての賢者であるビルゲイツやWHOが指摘する通り、
そして子供「なら」分かる通り、
Aが正しいのは明らかだ。
命の方が、経済より大切だろう?
だが、アメリカでも、インドでも、
「命よりも経済を優先しろ!」という、
Bを求めるデモが、頻発している。
そして、各国のトップは、
一人一票のポピュリズムの中で、
決断を下さねばならない。
いわゆる、衆愚政治だ。
そして、その環境が、そろいつつある。
民主主義の歴史上、
賢者の提言が生かされなかった事例は、残念ながら多数ある。
(むしろ、その方が圧倒的に多いのだ)
だから、今回Bが選ばれるリスクも、まだ大いにあるだろう。
仮にBを選べばどうなるか?
ウイルスには、政治は関係ない。
だから、人間の接触が再開されれば、大喜びで、
さらに再拡大するだろう。
(さらなる混乱に備えて、
シートベルトを締めるときかもしれない)
さて、そんなコロナは、実は事業承継問題と似ている。
事業承継問題は、20年以上の時をかけて、
静かに拡大してきた。
そして、今や根治不能な規模に拡大しつつある。
また、コロナのようにステルス性があり、
今この瞬間も静かに広がっている。
ただ、決して一度に大きな被害をもたらすことはない。
まるで、意思を持っている生物のように、
人に気づかれないように、対策されないように、
小さく分散して、長い時間をかけて、
大きな被害をもたらすのだ。
だが、その被害は、総合すると、
人類が経験したことのない程の規模になる。
当機構の試算では、その被害は、
毎年2回東日本大震災が発生するのに匹敵する。
企業に例えれば、
日本一のトヨタ自動車が、
10回倒産する程の悪影響をもたらす。
コロナに例えれば、
コロナによる失業者が仮に100万人出たとしても、
事業承継問題ではその10倍以上の人が失業するのだ。
こうして比較すると、
事業承継問題の深刻さを、
そして全国民に影響する国家的問題だということを、
少しは理解して頂けるだろうか?
日本航空や東京電力が倒産した時のように、
東日本大震災が発生した時のように、
エボラのように、
目に見える劇的な被害があれば、
人は対応しやすい。
だが、ステルス性のあるコロナや事業承継問題には、
人は対応しにくいのだ。
特に、衆愚政治になりやすい民主主義と、
株主利益最優先の資本主義の中では、だ。
まして、日本のように、問題の真実を見ようとせずに、
敵が見えたら穴に首を突っ込むダチョウのような真似を
していたら、被害は拡大するばかりだ。
ただ、一つだけ違いがある。
(そして、そこに希望がある。)
事業承継問題は、生物ではない。
人為的かつ政治的な無作為の結果、生じている問題だ。
だから、人が気付いて対応すれば、
できることはまだまだたくさんある。
たとえ国や政治が間違った選択をしたとしても、
個々人が正しい行動をすることは、可能なのだ。
いつかは真実が現れ、皆が気付く時が来るだろう。
だが、その時まで無作為に待っていたら、手遅れになる。
こういう問題は、気付いた人から、
個々の判断で動いていくしかない。
国がどんな判断をしようと、
今は、皆様には、個々の判断を大事にして、
命を守ってほしいと願う。
厳しい時期はまだ続くだろうが、明けない夜はない。
いつか来る夜明けを目指して、
子や孫に未来を残せるように、
日々、準備を進めていこう。