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死と事業承継

安倍元首相のご逝去の報に接し、心から哀悼の意を捧げます。まだ67歳と若いながら多くのことを成し遂げ、今後も日本の子や孫のために長くご活躍頂きたい方だと思っていましたので、個人的には残念でなりません。

ですが、安倍氏に限らず、死は誰にでも、突然やってくる可能性があることです。そこで、本日は重いテーマですが、「死と事業承継」について書いておこうと思います。死と事業承継は、実はとても関係が深いテーマだからです。もし、社長が死なないなら、社長を辞める必要も、事業を承継する必要もありませんよね?しかし、ヒトがヒトである以上、永遠に生きることは出来ず、多少の差はあれ人生は100年程度で必ずいつか終わりを迎えます(いまのところは)。そして、死が不可避である限り、事業承継問題も不可避の問題なのです。待っていればいつか解決する、そんな問題ではないのです。

事業承継問題について、社長がまったくなにも対策をせずに死ぬと、会社はどうなるか?その会社も、かなりの確率で社長と共に死を迎えることになります。事業承継問題を無視して(あるいは見ぬふりをして)何の対応もしないのは、死後の準備をまったくせずに死を迎えるのと同じなのです。では、会社の死とは?そう、廃業したり倒産したりして、法人活動が止まってしまうことです。これは、社長やご家族にとって悲しいことですが、それだけではすみません。多くの関係者に、多大な迷惑をかけることになります。会社が突然倒産すると、従業員は職を失います。顧客や取引先も、サービスや製品を失います。国や自治体は、税収を失います。その家族も含めて、多くのヒトが生活に困ります。突然、収入が途絶えたら、明日からどう生活していけばよいのでしょうか?ある会社が無防備に倒産・廃業した結果、そのあおりを受けて連鎖倒産する会社も少なくありません。このように、お世話になってきた取引先や従業員等の関係者に迷惑をかけないようにするためにも、事業承継問題には早期から十分な対応をしていく必要があるのです。

しかし、ここに、一つ不都合な真実があります。死は本質的に、大きすぎて、直視して対応するのが難しい問題なのです。たとえば、相続にしても、多くのヒトがその事前の必要性を理解していながらも、なかなか直視して行動することはとても難しいのです(子や孫が親に相続の相談をすると、まだ早いと切り捨てる親や、怒る親も数多くいると言われています)。それは、死を直視するのは大きすぎて重すぎて耐えられないというヒトの心理的本質によるものなので、無理もありません。そして、死を想定させる事業承継問題もまた同様に、大きすぎるがゆえに、直視して対応するのが難しい問題なのです。その結果、多くの社長は、「見て見ぬふり」をしてしまう。ある社長は、見ても、「難しすぎて、自分には対応できない」と匙を投げてしまう。そして、また別の社長は、「死後のことは、自分には関係ない」と、自分のことだけで整理してしまう。こんなことが、実はとても多いのです。

では、事業承継において、死がもつ意味とは何か?私は、死を目の当たりにしたときこそ、「社長の生き様」がはっきりと表れるときだと思っています。順調な時、元気な時に、キレイごとを言うのは簡単です。たとえば、「従業員が一番大事」、「地域や取引先を大事にしてほしい」ということを、多くの社長が言います。それを、しんどい時、死を覚悟した時にも、変わらずに最後まで有言実行できる社長なのか?自分が死ぬときにも、目指す方向に一歩踏み出して倒れて死んでいくことが出来る人なのか?それとも、元気な時にはキレイごとを言っていても、死を前にすると突然変貌して「個人的事情」や「一族の財産」を優先してしまうのか?あるいは、難しいからと見て見ぬふりをして、自分が死ぬまで「なにもしない」という選択をしてしまうのか?

死という厳しい現実を目のあたりにすると、その人の本質、生き様がくっきりと浮かびあがります。それでも、現実を受け入れて、現実的な対応をしていくしか、事業承継問題の王道的な解決策はないのです。そして、王道を行ける人は、まだまだ少ないのが現実です。入口で検討したとしても、途中で脱線してしまう方も少なくありません。

ただ、ゴールまで行かないと、事業承継問題の解決にはつながりません。ラクだからと横道にそれても、それは逃げるだけで問題解決にはなりません。だから、私は初対面の時、社長の「顔」をよく見るようにしています。そして、自分の「顔」を、なるべく社長によく見て頂くようにしています。それは、私が小さいことから親に何度も言われていた、下記の言葉によるものです。「20歳になったら、自分の顔に責任を持ちなさい。そう思って、1日1日を生きなさい。それまでの自分の生き様が、すべて顔に現れるから。」

そんな事業承継問題に真っ向から対応しようとしているのだから、我々もまた、死から目を背けずに、正面から向き合う必要があります。事業承継問題に向き合うには、死と向き合う必要があるのです。そして、社長と同じくらいの真剣さを持って、対応しなければなりません。死を前にして怖れる気持ちが生じるのは、誰だって同じ。それを、(自分のためだけではなく)子や孫のためにという気持ちを持って、勇気を振り絞って直視し、乗り越え、この王道しかないと覚悟を決めて取り組まなければ、事業承継は出来ません。単なるカネ儲け目的の資本主義ビジネスとしてでは、到底出来ないことなのです。子や孫のためになっても、個人的にラクに儲かることではないのですから。ご相談に来られる社長の想いを受け止めるには、我々自身にも、大きな責任を引き受ける、不退転の覚悟がいるのです。

だから、私は社員たちによく言っています。「なんのために当機構に参加したのか、初心を忘れないでほしい」と。うちの社員には、とても優秀な人材が多いと自負しています。生産性という面でも、非常に高いでしょう。とはいえ、ヒトは弱い生き物。時には自分の身がかわいくなったり、横道にそれたり、ラクなお金儲けの世界に戻りたくなる人もいます。そんな時、私はその社員を、特に止めません。真剣に悩み、相談にいらっしゃる社長の、自身の死後を見据えた相談に対応するのに、そんな半端な社員が対応しては失礼ですから。そして、本質的に死に対応するのと同じくらい重要な事業承継問題の解決に取り組むということは、自分で人生をかけるか否かを決めることであり、他人に言われたからとやることではありませんから。

「時の審判に耐える仕事をしよう」という言葉が、さわかみグループにはあります。一時的な興奮ではなく、本質的な公憤に基づいて、長い時間をかけて課題解決に取り組む。そんな姿勢を、当機構では大事にしています。

最後に、ある上場葬儀会社の創業者が、新入社員に話した言葉をご紹介して、終わりにします。「ヒトは生まれ方は選べないが、死に方は選べる。その死に方をお手伝いする世界でもっとも高貴な仕事が、君たちの仕事だ。死は悲しいものだが、それにきちんと対応してよい式をして差し上げれば、残された子供達にとってどれほど救いになることか。」

死は個人としては、とてもとても、悲しく厳しい現実です。だからこそ、個人の枠を超えて、子や孫のために取り組むことを、当機構ではいつまでも大事にしていきたいと考えています。

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