MESSAGE

人件費はコスト?投資対象?

「人件費は大きなコストだが、減らすな(逆に増やせ)」「ヒトに投資しろ(あたかも機械設備のように)」という議論を目にする機会が増えた。賃金の上昇は時の政権の意向でもあり、悪いことではないのだが、そもそも本質的な認識のズレがあるのではないかと懸念している。これは、一見耳障りのよい意見であるために大衆を惑わしやすく、故に本質的に危険だとも感じている。ともすると、大木と枝葉を混同するような、鶏と卵と取り違えた議論ではないだろうか?そこで今回は、当機構が人件費をどのようにとらえているかについて書いておきたい。

結論から言おう。「当機構にとって、人件費は重要な「事業目的」の1つである」。雇用を維持し、従業員やその家族の生活を支え続けることは、会社を存続する上で最重要かつ最高位の事業目的の1つなのだ。人件費は、決して利益を稼ぐための「コスト」や「投資対象」といった低位の中間要素ではないというのが、当機構の考え方だ。

そもそも人件費とは、から整理しよう。人件費には、社内と社外の2種類がある。当機構は、グループの雇用を安定的に維持・拡大・改善するために、利益を求める(※この順序が、そもそも多くの会社とは逆である)。そのために、当機構のグループ社員は不断の努力で製品やサービスを改善し、社会に提供する。それが認められ、価値が生まれれば、会社に利益として還元される。利益が増えれば、当然に社員に給与・賞与・福利厚生・増員などの人件費として還元する。このようにして、社員が喜び、誇りを持って働ける環境を長期的に用意し、成果が出たら公正に分配する(もちろん、失敗した時の安全網も整備したうえでだ)。だから、当機構のグループ社員は、まず自らのために、そして社会のために、各社において正々堂々と誇りを持って働ける。これが、当機構における人件費の位置づけだ。

同時に、当機構グループが価値を生むことは、社外に雇用を生むことでもある。グループ各社が良い製品やサービスを社会に提供すれば、そこでまたビジネスが生まれる。ビジネスが生まれれば、雇用が生まれる。事業は常に「おたがいさま」だから、時には社内と社外が逆になるケースもある。が、いずれにせよ、雇用も人件費も、相乗効果で増えていく。こうやって増えた雇用や人件費が、社員やその家族の生活の糧となる。社員やその家族の生活を通じて、社会の消費や税金を増やし、新たな雇用を生み、豊かな社会をつくる原資になる。これが、社会的な相乗効果というものだ。

(※「おたがいさま」ではない、自分だけ良ければよいというケースも、残念ながら世の中にはたくさんある。だが、当機構はそういう先とは、短期的にどれだけ好条件であってもお付き合いしない。歴史を見ても、自分だけよければよいという会社は、長期的には確実に滅びる。その確率は、実に100%だ。当機構は永久保有するために、まず当機構自身が永続する必要がある。だから、目先の小銭のために、100%滅びる道を選ぶ気はさらさらない。)

木がなければ、葉は生えない。鶏がいなければ、卵は産まれない。それが自然の原則だ。そして、ヒトと会社(そして会社が生む利益)も、また同じ。ヒトが居なければ、会社は活動できない。会社が活動できなければ、製品やサービスは生じない。結果、社会に新たな価値も生まれず、したがって利益も生まれない。これが自然の順序だ。

ところが、最近の論調では、どうもこの順序が逆になっている。株主資本主義に基づけば、「会社は株主利益のためにある」。だから、ヒトがあたかも原材料の1つのように「コスト」と見なされ、削減の対象になる。あるいは、機械設備のように、より利益を増やすための「投資対象」として、「投資」を推奨することもあるようだ。だが、それは「ヒトとして」本当に正しいことだろうか?

逆の立場に立って考えてみれば、真偽がわかる。たとえば、あなたが中小企業の従業員だとしよう。会社(の社長)はあなたを、あたかもコピー用紙やトイレットペーパーと同じ「コスト(会計上は同じ「原価・販管費」だ)」と見なして、モノのように扱う。必要な時にだけ採用し、用が済んだらとっとと捨ててしまうだろう。そのように扱われたら、あなたはどう思うだろうか?それで、誇りや愛社精神をもって、一生懸命働くだろうか?それで生産性は上がるのだろうか?

あるいは、会社(の社長)が、あなたを機械設備と同じように、より利益を生む部品に「カイゼン」しようと「投資」したとしよう。そうしたら、あなたは社長の目論見通り、より利益を上げるために知恵を身に着け、会社の利益向上のために働くようになるだろうか?

逆に、当機構にはこういう社長がいる(というより、かなり多い)。それは、すべての従業員(パート含む)を、社長と同じ大事なヒトとして遇し、接し、折に触れてその仕事をしてくれていることに感謝し、誕生日には個別にお祝いの手紙を手書きで書き、たとえ小さな貢献でもなにかあるたびに大きな称賛をすることを惜しまない。前者の社長と、後者の社長、あなたは、どちらの社長の下で働き、貴重な人生を過ごしたいだろうか?

お気づきだろうか?この人件費=コストと捉える見方で危険なのは、「利益」をあまりにも優先する結果、「ヒトの心」を無視した結論を正当化してしまうことだ。これを、資本主義のオーバーソフィスティケーション(過剰な洗練)という。この資本主義の行き過ぎからヒトを守るのは、一見簡単なようで、実はとても難しい。これは資本主義の根本にビルトインされた、両刃の剣の部分の欠点だからだ。

人件費=コストという考え方は、巨大な仕組みとその歯車という形で事業が回っている大企業においても相応に大きな問題だが、それでも大企業は人に困らないので、問題が具現化することは少ない。だが、人員問題が深刻化しており、従業員1人1人への依存度が高い中小企業では、人件費をコストとして扱うのは、致命傷になり得る大きなリスクだ。だから、当機構はその資本主義の欠点の影響を防ぎ、過剰な利益を求めることが無いように、永久保有の傘をつくり、グループ会社の社員を守る仕組みを提供している。

生きとし生けるすべてのヒトには、心があり、誇りがある。そして、それを追求する権利がある。そのヒトに対して払う人件費を、あたかも利益を生み出す機会や部品のように「コスト」として扱うのではなく、同じ志を有する「同志=協力者」と位置付け、ヒトとして正しく遇する。性別や職位、年齢等に関わらず、すべての従業員をヒトとして遇し、礼儀正しく接し、自主的に活躍できる場を提供する。それが、当機構の人件費の位置づけであり、当機構の人事方針だ。

設立から4年半の時を経て、当機構は毎年約20億円の人件費を支払い、約600名の雇用を維持する規模になってきた。600名の雇用とは、1500名弱のヒトを養い、日々の生活を支えることを意味する。その重責を覚悟して引継ぎながらも、当機構は今後とも人件費を「最重要な事業目的の1つ」と位置づけて積極的に増やすとともに、その重要な裏付けとなる財務基盤を強化していく方針だ。そして、社内外の「ヒトの生活」を足元から支える大きな土台として、子や孫とともに永く栄えることを目標に、今日も活動していこうと思う。

関連記事

TOP