創業者インタビュー

株式会社柳川製作所 代表取締役 柳川 正樹 氏

Profile
大学卒業後、名古屋の都市銀行に6年間勤務。30歳で祖父が創業した柳川製作所に入社。1994年、創業から3代目の社長に就任。2022年4月に当機構に事業承継後も社長を継続、現在に至る。休日はどうしても仕事になってしまうが、できるだけ歩いて脚を鍛え、暇ができたら月3回ゴルフ、月1回は高校の同級生で町工場や工務店など地域の仲間とお酒を酌み交わすのが楽しみ。

Introduction
1921年創業の柳川製作所は100年以上にわたり、新しい技術に目を向けつつお客様のニーズに合わせた製品の供給とサービス向上に努めてきました。親子3代で事業を繋いできましたが、将来にわたる雇用と会社の安定を見据えて2022年に当機構に事業承継しました。創業家3代目で承継後の現在も社長を続けられている柳川正樹氏にお話を伺いました。

▶会社の立ち上げ、歴史を教えて下さい。社長としてどのような思いで会社を経営されてきましたか

1921年に祖父が兵庫県加古川市で鋳造用木型製作所を創業し、1955年に有限会社を設立しました。この辺りは瀬戸内海で造船所があり、造船といえば鋳物、鋳物の仕事をしてみようと木型をはじめたと聞いています。1971年から父が2代目を、そして1994年から3代目の私まで、親子3代で継承してきました。

私は大学卒業後、名古屋の都市銀行に6年間勤め、30歳で柳川製作所に入社しました。父が病気で亡くなるまでの10年間で心の準備をしながら、40歳で社長を引き継ぎました。この間、業績は下り坂で債務超過となり、2度の資産売却も余儀なくされました。とにかく資金繰りで毎日忙しく、一人で何役もこなしながら走り回っていました。

厳しい状況でしたが、取引先と従業員と“運”に恵まれ、徐々に会社は上向きになっていきました。きっかけは、2000年頃にアルミタンクの機械加工と出会ったことでした。2005年には米国向けアルミタンクを増産するため、タンク機械加工専用工場を開設。さらに検査業務も引き受けることになりました。

ご縁があって、以前に売却した隣接地を工場付きで買い戻し、検査工場を新設しました。加工と検査を一括で行うことができるようになって、元請会社の一つの部門を請け負うことになり、「パートナー」と呼ばれるまでになりました。しかし実際には、検査の仕事は新しい分野であり、米国の厳しいチェックや2年に一度の監査等々とても大変でした。ひとつひとつ誠心誠意対応し、なんとか乗り切っていきました。振り返れば、そこが起点となって会社が良くなっていったと思います。

▶なぜ事業承継を考えたのでしょうか。そのとき誰に相談しましたか

社業は小さいなりに順調でしたが、気が付くと私も65歳を過ぎ、年齢的に将来のことに責任を負えなくなるなと思いはじめました。身内や社内から後継者を探しましたが、適任者はいませんでした。

当社のように100%下請けの会社など事業承継やM&Aの対象にはならないだろうと思っていましたが、いずれは何らかの形で会社を残して顧客と社員を守らねばならないので、ここは一度やってみようとメインバンクの商工組合中央金庫(商工中金)に相談しました。ところが、案の定うまくいかなかったのです。一般企業とのシナジーを探るなど5~6社お話をいただきましたが、やはり当社がメーカーでなく下請けという点が買手側にとっての魅力に欠けたのかもしれません。

そのような中、商工中金からJSK(事業承継機構)を紹介され、2021年秋に吉川社長と面談しました。そして、ご縁が繋がり、2022年4月に契約が成立しました。

▶事業承継を行うにあたって重要視したことは?

「顧客・従業員・会社」の順に三者を大切にすることを社是として掲げていますので、顧客の維持と従業員の雇用を最優先に考えました。会社はこれからも100年続いてほしいですが、柳川の名を残したいといった創業家としての意識はありませんでした。

▶なぜJSKに事業承継することに決めたのですか

「永久保有」をはじめとするJSKの理念と、私自身の「顧客と従業員を大切にしたい」との想いが合致したからです。

▶事業承継が決まった時のお気持ちは?

これでいつ自分が死んでも家族に借財を残さないで済むと思いました。中小企業の根保証が社会問題にもなっていますが、当社ではリーマンショック以前に根保証は外していましたが、これで本当にほっとしました。

その一方で、私の場合は承継後も5年間社長として残る前提の契約でしたので、これからが大変だと覚悟しました。事業や取引先は生き物、変化するものなので、このまま順調にいくとは夢にも思っていません。

取締役 志方康人氏(右)、JSKの担当 大石と

▶事業承継の引継ぎはいかがでしたか

5年後(2027年社長退任予定)、次へ引き継ぐべく奮闘中です。これまでは何から何まで自分が決めてやってきてしまったので、徐々に業務を分解しているところです。20名余りの下請けの町工場には引継ぎマニュアルのようなものはありませんので、これまでもそうだったように、これからも現実と向き合い、その時点その時点で「勝負していく」しかないと思っています。

▶経営において課題は?

技術のある人材の確保が課題です。現在、従業員は派遣含め23名、平均年令は47.8歳。2000年当時からのメンバーは今も一緒に働いていますが、なかなか若い人が入社してきません。経営については、取締役2名と新規に採用した取締役候補2名の4名で集団指導体制を築いてほしいと思っており、その方向でJSKとも話をしています。その形を進めていく中で後任となる社長人材が育っていくか、外から採用するか、柔軟に対応していけばよいと考えています。

▶事業承継を考えている創業者の方へメッセージを

現実の事業は生き物。様々な会社、様々な状況に合わせて現場の人が努力していこうという気持ちがなければうまくいきません。逆に、経営者が引退しても、残った人達が取引先と従業員をきちんと守り維持していくぞという決意があればなんとかやっていけると思います。方程式のような答えはなく、その場その場で答えを出していくしかないのでしょう。

▶JSKへの期待、メッセージをお願いします

承継後、色々なことが徐々に進歩してきています。例えば、以前はやっていなかった取締役会も今は毎週定期的に開催しています。私と取締役および取締役候補生4名で、夜7時半から30分の予定が気が付くと9時半頃まで話し合いが続くようになりました。承継からまだ2年、はじまったばかりです。様々な問題を一緒に話し合い、解決していく努力を続ければ、きっと良い答えが見つかると思います。課題解決は「1+1=2」にはならないもの。足りない部分をどうやって埋めるのか、問題解決のハードルは低めに、時間は長めに、JSKと相談しながら前に進んでいきたいと思っています。

 

▶株式会社柳川製作所についてはこちら https://yanagawa-works.com/company.html

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