創業者インタビュー

三協プレス工業株式会社 元 代表取締役 花澤 正克 氏

Profile
大学卒業後、東芝と米系分析機器会社との合弁企業に入社。約5年勤務した後、1976年にお父様が創業された三協プレス工業に入社。創業社長の下で開発から営業まで携わり、55歳で会社を実質的に引き継ぎ、2012年に代表取締役に就任。2021年9月に当機構に事業承継後、2022年6月に代表取締役を退任し、2022年12月まで相談役を務める。現在は、週3日ゴルフ練習、週2日スポーツジム、週1日は奥様とゴルフプレーを楽しむ。

Introduction
三協プレス工業株式会社(本社:千葉県千葉市)は1956年の設立以来、高い技術力とチャレンジ精神を持った「ものづくり」の会社として、材料の調達から加工全般、塗装、組立、検査まで一貫生産できる体制で日本の大企業を黒子として支えてきました。
花澤氏はお父様が創業された同社の社長を引き継がれましたが、後継者不在の中、2021年9月に当機構への事業承継を行いました。
事業承継を決断された花澤氏にお話を伺いました。

▶お父様が創業された会社への入社、そして社長に就任されるまでの経緯を教えてください

大学卒業後、東芝とアメリカの分析機器会社との合弁企業に入社しました。4年ほど経った頃、創業社長の父から引き継いでほしいという話がありましたが、会社に慰留され、その1年後に跡継ぎとして入社することになりました。
入ってみて、あまりに環境が違い、カルチャーショックを受けましたね。
まずは、ものづくりのイロハから勉強しながら現場を経験しました。
次に、社長から開発をやれと言われ、農業機器メーカー向けの部品の製造を手がけ、特許も取得しましたが、メーカーの下請け的色合いが濃かったと思います。

財務を含めて実質的に会社を引き継いだのは55歳を過ぎてからでした。
会社が儲かっていないことは聞いてはいましたが、改めて財務諸表を見て愕然としましたね。
社長である父はあまり会社に来ないし、数字の話はできない状況でしたので、これは自分でなんとかしなければという覚悟ができました。
それでも、父と会社の引継条件が折り合わず、実際に社長に就任するのは7~8年先のこと、私が63歳の頃でした。
それから本格的に会社の立て直しに動き始めました。

▶厳しい状況の中で社長に就任され、どのように事業を建て直されたのでしょうか

引継当初は人には言えないような財務状況で、在庫の半分は不良在庫という有様。
まずやったことは、取引銀行と主要取引先に対して今年度の赤字を公表して了解を得ることでした。
不良資産の正常化に向けて取り組みましたが、リーマンショック時には、売上の8割を依存していたメイン取引先からの発注がゼロになり、それは大変でした。
メインバンクへ資金調達に、メーカーへ新規営業にと一人で走り回りました。
とにかく用事があろうが無かろうがお客様のところへ行き、話をすることでコミュニケーションと信頼関係が生まれ、それが仕事に繋がっていきました。

「メーカーであり続ける」ことを念頭に、サプライヤーとして完成品の生産比率を上げるための体制も構築していきました。
受け身ではなく、こちらから積極的にアプローチしていったことと、お客様に恵まれたこともあり、次第に業績も回復していきました。
社長就任時の負債が4分の1くらいまでになり、銀行の取引も正常に戻すことができたのは、今からほんの5年前くらいのことです。

▶業績回復されたにもかかわらず、なぜ事業承継を検討されたのでしょうか

あと2年ほどで負債が無くなるという頃、ようやく会社の将来について考えられるようになりました。
5年後の会社がどうなるのか、自分の年齢を考えると将来のことに責任は負えないと思い、身内や社内からも後継者を探しましたが適任者はいませんでした。
まず、業態の難しさです。同じ製造業でも規模が小さく、組立から加工まで一つの工場で一貫して行っているため、加工技術や取引先など多岐に渡ります。
また、中小企業は基本はトップダウン。トップが何でも分かっていなくては回らないのです。
そういったことを全てカバーできる人材を求めるのは非常に難しいことでした。
そこで、本格的に事業承継の検討を始めようと、メインバンクの商工組合中央金庫(商工中金)に相談しました。

▶それが当機構JSKを知るきっかけとなったのですね

商工中金からM&Aのお話を数件いただき、そのうち1社は仮契約までいきましたが最終的に条件が折り合わず、成立しませんでした。
M&Aは同業種を紹介されることが多いのですが、モノづくりについての想いや考え方が異なっては成立しません。
製造業というのは工場の設備だけあれば、あとは承継した会社が好きなようにできるものではないのです。
サプライヤーとして既存の取引先があり、毎月ライン供給しており、急に止めるわけにはいかないというところで折り合えないケースもありました。
その後、JSKを紹介され、コロナ禍の影響もありましたが、1年経たずに契約成立に至りました。

▶事業承継で最も重要視されたこと、JSKに決められた理由は何だったのでしょうか

三協プレス工業という会社の存続と従業員の雇用を守ることが最優先でしたので、JSKが掲げる「永久保有」は一番の決め手となりました。
会社が100年続いて欲しいという思いは強かったのですが、花澤の名を残したいといった創業家としての意識はありませんでしたね。
これまで長きに渡って良い関係を築いてきた取引先との関係継続という観点からも、JSKが同業種ではなくニュートラルであった点も決め手となりました。

▶事業承継が決まった時のお気持ちはいかがでしたか

ほっとしました。ただ、決まってからは、むしろ多忙になりました。
自分がいなくなった後のことを考え、組織の一新、工場の改革、新しい営業や製品づくり等々全てやりましたが、一番悩んだことは組織づくりのための人材確保でした。

▶事業承継を考えている創業者へメッセージをいただけますか

身内以外の人や、他社へ事業承継する場合には、一度全てをリセットすることが大切です。いつまでも会社の心配をしていてはいけないと感じました。

▶JSKへの要望、期待などありますでしょうか

製造業は技術・開発・営業力等々必要ですが、製造現場の人材確保、各取引先との人間関係構築は不可欠で、ひとえに「ヒトのチカラ」次第というところがあります。
ところが一方、中小企業の一番の弱点は人材で、特に幹部や中間管理職の採用・育成は難しく、製造業はさらに厳しい。
足りない部分を承継社長がすべてカバーするわけにもいきませんので、JSKの「事業承継プラットフォーム®」には期待しています。
変わり続けていく会社に寄り添いながら、積極的な経営支援を継続していってくださることを望んでいます。

▶三協プレス工業株式会社についてはこちら https://www.sankyo-press.jp/

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